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自然農法の野菜が食べたい!
自然農法とは、そして有機農法とは
自然農法や有機農法。。最近よく耳にする言葉ですよね。
どっちも良さそうだけど、いったい何が違うの??
そう疑問を抱かれる方も多いと思いますが、どちらも作物を育てる方法の一つです。
両者は似てるような響きですが「似て非なるもの」。。実は内容は全く違います。
定義については色々と細かに解説があるかと思いますが、ざっくりと説明すると以下のこんな感じです。
自然農法は、代表的なものは岡田茂吉氏の提唱する「農薬や人糞・動物の肥料、化学肥料を⼀切使⽤せずに自然の力を使って作物を育てる」のに対し
有機農法は農薬と化学肥料は使用しないが、有機肥料を使う。または減農薬栽培と言って農薬の使用頻度を抑えている。などがあげられます。
極端に言ってしまえば、前者は土に何も足さず、後者は量の差はあっても土に何かが足されているということです。
自然農法は、土に対して耕したり藁や作物の残渣などを敷いて作物が育ちやすい環境を目指しますし、全く耕さない方法もありますがここでは割愛します。
そして農薬や動物の糞尿、化学肥料などは一切使いません。
対して有機農法は、量の差はありますが農薬・動物の糞尿など生物(動物、人間、植物あるいは微生物)由来の資源や、様々な無機肥料(石灰や草木灰など多種あります)を使っています。
例えば有機農法でも、減農薬栽培農産物と言えばその地域での使用回数の5割以下しか農薬を使わずに栽培したものと言うことになります。
半分しか農薬使ってないから安心でいいかな~と思いますが、1回も5回も10回も使うことには変わらないという声もあります。。。
野菜嫌いの本当の理由ってもしかすると。。
給食の野菜は残すけど、自然農法で作ったこの野菜は食べる。
あんなに嫌いだった野菜を、美味しそうに食べる子供さんに驚く親御さんもいらっしゃると聞きます。
一口でも自然農法の野菜を口にしたことのある方ならわかると思いますが、野菜がとにかく甘く感じられます。
過剰な肥料や農薬など何も加えられていない野菜は、それが本来の味なのかもしれません。
そう言えば15年以上前のこと、キャベツたっぷりのお好み焼きを食べた時にの話です。
本来キャベツの甘さでおいしいはずのお好み焼きに、薬品臭と言葉にできないようなまずさを感じた時がありました。
当時は農薬や有機肥料なんてこと考えずに生きていたので訳がわからなかったけれど、今ならわかります。
自然栽培の野菜を食べ始めると、だんだんとそれ以外の野菜を受け付けなくなってしまうのでそれが難点と言えば難点なのか。。。(笑)
口が肥えてしまい元に戻せなくなるという感じです。
自然栽培の野菜に調味料はいらないんじゃないかと思いますね。そのくらい味付けもシンプルになっていきます。
野菜本来の味を楽しみたいので、ただ焼いただけとか茹でただけみたいな料理とは程遠いものになったり(笑)
良いことに調味料も薄味になっていくので、塩分とりすぎにならなくていいかもしれません。
人参やカブ、大根なども、ウサギのように生のままかじってみたくなります。
野菜がどうしても喉を越してくれないのは何故でしょう?
そして野菜嫌いの本当の理由は。。。もしかしたら必要以上に野菜に加えられた化学薬品や有機肥料かもしれませんね。
野菜の姿に人の姿が重なって
自然農法の考え方に出会ったお陰で、人の生き方について考える機会もいただきました。
野菜も人も、命という点で同じなんですね。
人も、野菜も、過剰に与えなくともそもそも自分で自立して生きられるものなのだということを知りました。
いま体に起こってることが、何となくしっくり来ないし何かうまくいかない。具合悪い。
そう思ったら、ちょっと色々なものを「与え」すぎたり「加え」すぎたりしてないかな。。?と、立ち止まって見るのも悪くないと思います。
野菜(植物)が病気にかかるのも、人が病気にかかるのも、そこに原因があるからなのです。
自然のルールから外れてしまったため修正が起こったということなのです。
ルールから外れた原因と向き合い、それを取り除いていこうと思わない限り、いくら薬を使っても同じことが繰り返されるだけであって、むしろ治りが遅くなる可能性まであります。
よく、ある病状に対して投薬したら、今度はその薬が原因の症状が起こり、その症状を抑えるための薬に対してまた別の症状が。。。ということを聞いたりしませんか?
残念な薬の副作用スパイラルですね、でもこれは野菜にも言えることなのです。
すべての生き物にはもともと「恒常性」という修正機能が備わっていると言うこと。
そして何事もよくこの「恒常性」と相談していかないと、とんでもない結果を見ることになるかも知れません。
足りないかもしれないという不安から、何かを「足す」ということについて、もっと慎重にならないといけないと言うことです。
宇宙レベルの完全なるシステムの前に、人間サイドのみに偏った小さな考えがいつか通用しなくなる時が来る。いや、もうそれは始まっているかもしれません。